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Vol.13: 京急

2010年04月01日 22:23

130円で乗れるアトラクションに、下町モノづくりの男気を買う。

01.jpg関西には、例えば阪急・阪神のように大阪(梅田)・三宮の間をJRと始点・終点を同じくして併走するガチな競合私鉄が多いが、関東には新宿・八王子(高尾)の間をJRと併走する京王くらいしか思い浮かばない。いや、いた。これ以上なくJRとがぶり四つの勝負を挑む京急が。

始点の品川をJRと共にし、横浜駅をめがけてガチで併走する京急。JRと京急の併走間は常に1kmないほどだ。品川・横浜の始点・終点は揃えども、JRの蒲田駅に対しては「京急蒲田駅」、JRの川崎駅に対しては「京急川崎駅」と、ゴール前の地点においては敵に駅を合わせようとはせず、独自の陣地を張り続ける。

しかし京急だけでJRを相手にするのは並大抵のことではない。JRには近隣住民むけに各駅停車に徹する京浜東北線と、遠方住民向けに駆け抜ける東海道線という使い分けのゆとりがある。それを京急は2本しかない線路で相手にするのだ。しかも京急はもともと路面電車がベースの曲線区間が長いため、高速運転は容易なことではない。

だが京急はその土地のハンデを技術でカバーし、あくまで速達性を前面に売り込む。なんと、そもそもが高速運転向けに地下で直線設計されたつくばエクスプレスに接近する最高120km/hで、快特は大田区や川崎の密集住宅街の曲線を練り抜けるのだ。

04.jpg車両面では、「ドレミファ」音で有名なシーメンス社製モーターをいち早く導入するなど加速性能をまず武装し、曲線は細かな加減速の繰り返しで補う。当然に揺れてしまう車体は改造と新型の投入でさらに補う。さらに土地面積のハンデを、通過用駅や車両をフル活用したダイヤで補う。各停といえども時として100km/hを越す速度を出してなんとか通過用駅に滑り込み、すぐ後ろを追う快特に速やかにバトンを渡して速やかに自らも出発する。「京急ウィング号」にいたっては、あの横浜駅すらも通過するほど遠方からの通勤客に特化させてしまうダイヤ設計の潔さの妙である。この限られた資源の中で創意工夫する京急は、お膝元の大田区、いや日本のモノづくり精神を体現しているかのようだ。

通過駅のプラットフォームを容赦なく120km/hで駆け抜ける快特。マサカリの如く猛速で閉まる旧式の片扉。京急蒲田駅のように上下線が流動的に入り乱れる1番線と2番線のホーム。遅延の際には各停が快特に切り替わるような強引なダイヤ修正。

一見ユーザーに媚び諂わないぶっきら棒なその姿勢だが、実のそれは何としてでもユーザーの輸送を守るための裏返しである。現に京急には細かい遅延はあれども運転見合わせは滅多にない。愛情表現の苦手な京急は行動で示す。なんて不器用な江戸っ子のようなのだろうか。

03.jpgまた駅名の粋なセンスでも関西の阪急と並び、関東私鉄では京急が突出している。例えば東急田園都市線では「宮崎台」「あざみ野」「藤が丘」「青葉台」「つくし野」「すずかけ台」「つきみ野」のように、とりあえず「ひらがな」+「台」「野」「丘」を添えることで東京近郊での風景の良さをインスタントに訴求したり、東急東横線では「学芸大学」「都立大学」とアカデミックな駅名を路線ブランディングの一環で押し付けようとする。しかしそれで「碑文谷」や「柿の木坂」という、昔からその土地に似合う表現がなされた地名を犠牲にしてしまうわけだ。一方の京急は「鮫州」「立会川」「梅屋敷」「雑色」「六郷土手」「八丁畷」「生麦」「屏風浦」など、別段、快特が止まるわけでもない小さな一駅一駅にまで地名由来からのユニークな名前がつけられている。駅名の歴史は知らずともついつい降りたくなるほどの個性だ。まるで、「俺の方がよっぽど東海道線よりも東海道らしいのさ」と、JRに真っ向勝負を挑むかのようである。東京と横浜という二大オシャレスポットをつなぐベイエリア路線でありながら、京急はオシャレだとは思われようとしないし背伸びもしない。男は自分なりの裏地で気取るものさ。それを駅名が物語る。


02.jpg先日横浜に行く用があり、新宿からJRへと乗り込む。湘南新宿ラインは横浜までの停車駅が少なく、快適に100km/h以上のスピードで走り抜ける。新設された武蔵小杉を過ぎ、また加速を始めたところ、おそらく子安あたりで住宅の茂みの隙間から突如として猛スピードの赤い影が現れた。京急の快特である。あの入り組んだ茂みの中でありながら、なんとこの湘南新宿ラインと併走するスピードではないか。JRが織田徳川連合の鉄砲隊だとすれば、各停から快特まで自分の持ち場を猛スピードで行軍する京急は「人は城、人は石垣、人は堀」、まるで赤い甲冑を着た武田騎馬隊。いや、JRが黒船だとすれば、京急はラストサムライといってもいい。

「タスキをつなぐ浅草線に京成線。お前らももう少し頑張れよ。この下町のタスキで成田と羽田の日本の空がつながれているんだぜ」。不器用だと言われてもいい。今日も赤甲冑の騎馬群はまるで紅の豚のように飛び立っていくのであった。


※写真提供:@_grumit 情報協力:@_spitf

Vol.12: 谷中

2010年03月22日 22:21

欧米人の東京の観光ブックを見ても世田谷など載っていない。
外国はあくまで日本が見たいのだ。


谷中

iPhoneなどのスマートフォンをご使用の方はご存知かもしれないが、GPSから自分の位置情報を地図上に足跡を残せる「foursquare」という英語のアプリがある。例えば今自分が上野駅にいるとき、iPhoneからfoursquareアプリを起動すれば「上野駅」が表示され、そこにCheck-inすれば「上野駅」に自分の足跡が残せる、という仕組みだ。そして、例えば上野駅に誰よりも多くCheck-inしている人は、上野駅のMayor(地点の長)の称号が与えられる。また、多くの人がfoursquareを利用してCheck-inすることにより、世界でどの界隈が今熱いのかが分かるようになるのだ。

Image696.jpgかくいう小生もfoursquareユーザーのひとりであり、下町散策の際にはマメにCheck-inしているため、すでに何ヶ所かのMayor(地点の長)となっている。「根津駅」、「三浦坂」、「千駄木駅」、「岡倉天心宅跡」、「富士見坂」、「諏訪神社」、「道灌山公園」。そう、ぐるりと谷中を囲む地点を押さえているのだ。支配欲には無縁の風来坊の小生が、ここまで縄張り意識を掻き立てられるほど魅力的なマチ、それが谷中である。

谷中は台東区内にありながら山手線の内側にある地域であり、下町でありながら海抜でいえばかなりの高台に位置している。山手線で西日暮里から鶯谷に向けて走っている際に右手が崖のようになっていることはお気づきだろうが、その崖の上に存在しているのが谷中界隈と説明した方が端的だろう。江戸初期に今の上野桜木の地域に寛永寺が創立されたことで神田から多くの寺院が移転し、江戸の行楽地として栄えた歴史を持ち、今も谷中墓地には徳川家が墓に眠っている。まもなく桜満開の時期、上野公園の桜よりも谷中霊園の桜をおすすめしておきたい。

谷中台東、墨田、江東をはじめ、東京の下町は戦時中の大空襲によって江戸からの貴重な遺産も焼け野原と化してしまったが、谷中は大規模な空襲を免れることで貴重な歴史遺産を遺すことができ、今も観光客が絶えない。下町ファンの声としては、台東の谷中は下町でありながら隣の文京区の根津や千駄木と協力し合うことで、「脱・下町」のブランディングを強化している、などと揶揄されるが、逆にそれは戦火を免れた下町の遺産を世に伝えるための術である。

また、谷中は古いだけでなく東京芸大と近い場所柄であることからアートとの融合が強い。銭湯をリノベーションしたアートギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE」、長屋を改造したカフェ、そして上野の美術館と谷中のアトリエを開放した「アートリンク上野-谷中」が近頃では毎年秋の恒例となっている。歴史の浅い世田谷界隈のインスタントな「ほっこり」を求める女性客で入り乱れる今風のカフェにはどうにも入りにくいという男性には、谷中ボッサ、カヤバコーヒー、Cafe NOMAD、ミルクホールをおすすめしたい。プレーンなテイストの多い所謂「ほっこりカフェ」と違い、谷中のカフェは喫茶店と形容した方が早い。内装も白の壁と木のダークブラウンのコントラストが強く重厚な印象であり、その白の壁もどこかタバコの煙ですすけた色を醸し出している。袴姿の男性が物書きをしていても違和感のないこの空気は、隠れ家を追い求める男性には最高の書斎となってくれることだろう。

谷中そんな喫茶の楽しめる谷中は日暮しの里。飲み屋は少なく、日のあるうちに楽しむのが吉である。山手線からは崖のように一気に高台になっているが、そこから先は不忍通りの谷に向けてのなだらかな下り坂で街が形成されている。そのため日の入りの夕方には太陽が斜面均等に古い家々の瓦を照らす光景は圧巻である。谷中散策の最後に、富士見坂や夕焼けだんだんから日の入りを楽しんでいただきたい。

そんな谷中には外国人バックパッカー向けの安宿があるためか、谷中を歩いているとしょっちゅう外国人旅行客を見かける。散策がてらに欧米人に道を聞かれても、英語での説明が難しいほどに谷中は道が入り組んでいるため、目的地まで連れて行ったこともあった。実際にfoursquareで谷中界隈のスポットにCheck-inした人のリストを見ても外国人が想定外に多い。

谷中日本人がかつての農村を開拓して、インスタントにヨーロピアナイズされた暮らしのスタイルを世田谷に築こうとも、欧米人の東京の観光ブックを見ても世田谷など載っていない。外国人にとってはあくまで日本が見たいのだ。欧米文化に飲み込まれるのではなく、欧米文化を飲み込んだ日本文化の残る街・谷中。アメリカが燃やし尽くせなかったこのマチに、小生は今後もアメリカ生まれのfoursquareを利用してCheck-inし、世界に発信しつづけようと思うのであった。

Vol.11: ローリング立石様

2010年02月28日 22:15

街の血管はただロールし続ける。

霞ヶ関駅の血管この半生において、自分で自分に苦痛を与えることなどなかった小生は、恐縮ながら端的にいえば快楽主義者である。

過去の栄光ではあるが、確かに高校時代には剣岳や槍ヶ岳をはじめ、北アルプスを10日間かけて縦走した経験がある。しかしそれは単に当時「高いところが好きだった」という動機だけであり、「333mの東京タワーより10倍近い快楽を夏休み通して味わい続けられる」というワンゲル部員の口車に乗せられたからである。また、確かに小学時代に中距離走を続け、そこそこのタイムを出した時期がある。しかしそれは単に「速く走れればモテる」という快楽が保証されていたからである。

高校・大学、そして社会人へとコンクリートジャングルに歩を進めていくにつれて「速く走れればモテる」保証は神話と化し、ただ純粋に快楽を求め続けた結果、最終的に裏切らぬ親友関係を築いたものが酒とタバコであった。しかし、快楽の盟友として行き着いたはずの酒とタバコが、逆に三十路となった今では体に苦痛をもたらすものへと変容し、「快楽」と「苦痛」の関係が逆転してしまったのである。

浅草橋駅の血管その三十路の小生は、子どもの頃より親の影響でロックンロールに傾倒しており、「ロック=快楽の象徴」を体現するストーンズやデビッド・ボウイといった好き放題の”ワルい”生き方に憧れてきた。しかし、もう還暦周辺のミック・ジャガーやスティーブン・タイラーは、昔からの”ワルい”ルックスを今も保つために、禁煙とトレーニングというかつての「苦痛」を「快楽」へと逆転させ、ストイックな節制に勤しんでいるそうだ。「ロックなのに健康など裏切られた」と捉えてしまう自分の心の狭さに反省したものだ。

考えてみれば小生が社会人になって体を動かし、健康な汗を流すのは逆にロックフェスの時くらいのもの。それを思い出して下町散策で試してみたのだ。イヤフォンから爆音でロックを流しながらテンポに合わせて体を動かす。根津の三浦坂を上る時はゆったりとオアシスでも、逆に善光寺坂を下る時は追われるようにツェッペリンでも、へび道はグルーヴィーにマディ・ウォーターズでも。すると途端に谷中墓地の緑が苗場の森へと、そして不忍池へと抜ける景色がグリーンステージへとシンクロしたのだ。

八丁堀駅の血管ロックで健康になることは決してロック魂への背徳ではない。むしろ健康でなければロックし続けることはできない。忌野清志郎の分まで長生きしたい。

しかし自分だけの健康と快楽のためにイヤフォンで耳をふさいで下町を歩くのは、下町に対する冒涜ではなかろうか。この下町が荒川氾濫で水没すれば、住民の声に耳を閉ざした小生は、ノアの箱舟に乗り込んでひとり世田谷の高台に逃げ込む気ではなかろうか。

「転がる石に苔はなし」のRollong Stonesのロック(石)を聞きながら、転がることを忘れた立石様を拝みに行くことで、その回答を得ようとするのであった。

Vol.10: 十条の横丁会

2010年02月08日 23:05

横丁ジャック・フェスティバル、序章

十条踏切やはり日本人はカメラが好きである。立派なデジタル一眼をぶら下げて下町を廻っている方も多く見かける。しかし小生はどうにもカメラが苦手で、下町散策中に持っているものはケータイと財布くらいである。良いカメラになればなるほど重くなり、徒歩の命のフットワークを阻害するのはともかく、あくまで小生の散策の楽しみは徒歩による景色のゆるやかな流れにあるので、カメラを持つと撮影のたびに立ち止まってその流れが遮断されてしまい、どうにもキリがなくなってしまう。定点のおのおのを目的とせず、散策全体の流れを楽しみたい。なので大体1回の散策につき、写真はケータイで4、5枚程度である。その雑なケータイ写真をこの「東京下町への臍の緒」に載せているというわけだ。

しかしそれではせっかく訪れた素晴らしい景色があくまで自分の脳裏にだけ焼き付けられるだけで、他の人に谷中や立石といった東京下町の素晴らしい画を視覚的に共有することができない。とはいえ、動画に撮ってただアップロードして紹介するのでは、日記を綴る楽しみもなくなるので更新も続かなくなるわけだ。

そんな時にふと敏腕の仲介役で知られる同僚の@6rats氏が、小生の横丁散策に付き合ってくれるなどという。そのおかげでプロジェクトきってのキャメラマン@_grumit氏、さらには東京の交通網を知り尽くした@spitf氏、そして食べ歩きを何よりの趣味とする旅の用心棒@sochiai氏といった、自分にはない能力に特化した何とも心強い旅の同士を得ることができたのである。

十条龍馬その同士とともに、手始めに夜の十条へと上陸を開始した。まずは大衆酒場の聖地とされる斎藤酒場へと侵入。しかしやはり老舗の実力か、満席にはじき返される。とはいえ以前に二度も足を運んでいる加賀屋に落ち着くのでは新しい発見がない。しぶしぶまっすぐとそのまま進むと、斎藤酒場に頼らずとも安くて美味そうな酒場が視界を埋め尽くすではないか。細いアーケードのT字路に出くわすと、踏切の向こう側に見える「龍馬」の看板にターゲットを定め、右折することにする。

小生が子どもの頃は埼京線などなく、赤羽止まりの赤羽線であったな。踏切横の看板に残る「赤羽線」という文字を懐かしむ。しかし一方で、@_grumit氏や@spitf氏にとってはそんなことは当然な事実だったのか、アーケードの方を写メで撮りまくっているではないか。

踏切を渡って大衆酒場「龍馬」へと入る。おもむろに同士が「コ」の字のカウンターの角ひとつを占領する。そこで十条仲通商店会の副会長である@nakadoori氏と、東京の観光に業を置く@oharu317氏との運命的な遭遇を体験する。

十条龍馬そしてようやく飲み会が開始されたわけだが、とにかくこの同士の食べることほお張ること。串カツをひとり15本以上は軽くたいらげ、牛スジ煮込みにいたってはおかわりを繰り返して店の鍋をカラにしてしまい、「こんなに食べる客ははじめてだよ」と店長さんも苦笑するばかり。勤務地の六本木では安ければ不味い店が当たり前だが、この十条ではどの店も大衆の味覚のツボを掴んだ間違いない味を大衆価格で提供している。あたかも吸飲力の衰えないダイソンのごとく、皆がいかなる時も皿か杯か箸を口元に固定しているのも無理はない。おかげで当初もう一軒ハシゴして開拓するつもりが、最終的に今回はこの店だけに舌を捕まれてしまった。

閉店の「龍馬」を後にし、近所にお住まいの@nakadoori氏と、次の立石仲見世での飲み会を誓ってお別れをする。我々は十条銀座、十条仲通商店街を一通り廻り、十条駅南口で解散した。

十条龍馬小生は酔い醒ましに日暮里の家まで歩くことにした。いまだ市内局番が9から始まる3桁の店の看板が多く、昭和の東京が手付かずで残る北区デルタ地帯を十条から京浜東北線の方に横断する。高台の北区とはいえ、一軒屋の前に並ぶ無数の植木鉢や、夜の散歩を楽しむ猫の多さは完全に下町の風景である。こうやって足慣れた独りでの徘徊もいいもんだ。しかし今宵、皆で酒を囲んだ空間はまた素晴らしかったな。

自分の足で歩いてきた街を小生の記憶の中に留めず、その素晴らしさを共有したい。自由が丘や中目黒や代々木上原といった「住みたい街」ランキングの毎年上位に入る街は、メディアから知らされるわずかな情報から市民が選択した理想の結果である。立石に十条に駒込に、この素晴らしい東京にはまだまだ素晴らしい街がたくさんあるというのに。今後の個々の情報網が充実する時代には、メディアに頼らずとも、twitterやfoursquareを用いた個々の徘徊録によって、ポテンシャルのあるそこらかしこの横丁の底力が明らかになる。ユーザーが地点を自由に選択できるようになり、俗にいうIT化によって個々の横丁が生き返るのは間違いない。

そんな生き返るべき横丁をいち早くジャックしてハシゴ酒を楽しめる「横丁ジャック・フェスティバル」を設けて、その街の活性化に力を貢献できればどれだけ楽しいものか。ほろ酔い醒めぬ徘徊の中、そんな夢を膨らませつつ、北区デルタを横断して王子駅に到着。すでに終電を過ぎた暗いながらも神々しい、個の都電駅を眺めながら、先の長い日暮里の自宅へと足取り軽く歩を向けるのであった。


※いつものデジタル一眼ではなく、写メながらも素晴らしい写真を提供してくれた@_grumit氏、ありがとうございました。

Vol.9: 亀アリ金ナシ飴リカ

2010年01月25日 00:15

Image793.jpg見返りは素材と自分との距離を遠ざける。
得た価値は自分の足で見つけるものではないか。


現在日暮里でひとり暮らしの小生。転々と住む場所を移しながらもリクガメとともに6年近く生活している。アフリカのチャドという国のサバンナから来たケヅメリクガメという種類だ。カメといっても体重はすでに25kgを上回り、中型犬用のケージがすでに狭いくらいである。最初にペットショップで購入した時には手のひらサイズであったが、いやはや、チンゲン菜や小松菜といった草食性でここまで大きくなるとは。今回は下町徘徊録はカメとともにお休みし、カメともに部屋を徘徊しようと思う。

しかし6年間連れ添っても、このリクガメが飼い主のことを認識しているかは謎である。小生の顔よりも小生の手のほうが好きなようで、手を見せればすぐに近寄ってくる。どうやら餌をくれる人格として手を認識しているようだ。餌に関しては、小松菜は大好物でホウレン草にはいっさい口をつけないほどのグルメだというのに。

070819_122607.jpgそんなグルメかつ大食漢のこのリクガメだが、体温の上がる夏場においてはキャベツを2玉も食い干すこともあり、野菜価格高騰の時期には即席麺で3食を凌いでいた学生時代の小生の1日分の食費を上回るほどである。

ひと通り食したあとには、人間のようにぷすうと屁をこき、野菜の芯を枕にして見事にあくびをして眠る。目をつむったあとに聞こえる寝息もかわいいものだ。飼いはじめたときは、きゅっと甲羅に身を収めて寝ていたものだが、今では環境に慣れ、頭と肢体を伸びきっての就寝である。

そんなリクガメに対する愛情は純然たる小生からの一方通行。見返りなど求めたことはない。ただお前がいて小生がいる。リクガメよ、腹が減ったか。リクガメのケージの上で生ゴミとなるリンゴの皮をむき、皮をリクガメが食べ、リンゴを小生が食う。

ペットをはじめ、購買物、観光地などなど。お金を払った分の見返りを求めるこの世の中。見返り分を必死に奪い返すために事前情報を得ようとパンフレットやガイドブックを行動前に読みあさる。しかし、例えば、行き先の土地に対して事前に理想のルートを決めてその通りに現地を行動しては、現地のありのままの生活を体験することはできない。見返りは素材と自分との距離を遠ざける。見返りを求めるよりも、そこに素直に足を踏み入れてみて、得る価値は自分自身で見つけるものではないか。

05.jpgさてと、落合、浦和、日暮里と住む場所を共にしてきたリクガメよ。次に住むマチでも歩いて見つけようか。

引越前になれば冷蔵庫を空にしなければならないな。できるだけ中に入っているものを全て体内へ移動させなければならない。まずはやむなくビール2リットルを完飲。小松菜とモロヘイヤの束はリクガメ小屋へ。皿も全て処分してしまったので、キャベツをちぎって頬張り、そのままドレッシングを完飲か。やはり頬袋精神の小生は生ゴミでもなく、冷蔵庫以上の粗大ゴミだな。

まれに口の中で上手く発酵するものもあるかもしれないと信じて、さあ、リクガメ君、亀有か亀戸か。永い人生を生かして次のマチを探そうか。おいおいカメよ。その短い足でいったいどこまで歩くのだ。


最新の下町徘徊録


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