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Vol.8: 戸越銀座

2010年01月10日 00:00

人生にCtrl+zは効かない。戻りたいだけ長く生きよう。

Image441~00煙草の灰が床に落ちそうで手を広げたら、生命線上に灰がこぼれ落ちた。ここが人生の現在地か。人生の3分の1程度しか残されていない地点である。

小生の生命線はとても深い刻みを見せているが、陰りを見せることなく断絶されたかのように短く右手左手ともに終了している。長寿大国の日本とはいえ、大衆の人気の歴史上の人物といえば短命の竜馬や信長や義経のように、太く短い人生を全うした武家ばかり。18歳の頃のロックな小生も、ジミヘンやジャニスのように27歳までに何かしらのファッキン・サムシングで成功して人生を全うするつもりでいたが、この手相に反して可もなく不可もなく30まで過ぎた今では、ただひたすらに自分の手の平の生命線を下へ下へと爪でかいて引き伸ばすことばかりだ。

そんな太く短い人生に憧れ、長い人生を約束されていた新卒企業を半年で退職し、再スタートを切るべく22歳から住み始めたのが戸越銀座だった。無性にその頃が懐かしく思え、久方ぶりに短い東急池上線の車両に三十路の身を揺らしながらこの戸越銀座へとやってきたのだった。

そんな思い出に浸りながら、第二京浜の方角へ徘徊をスタートする。失業手当で生活していたころに、安魚ばかりを買っていたら「もってけもってけ」と魚のアラをただでくれた魚屋さんが左手に今も健在である。いつかは恩返ししなければいけないが、それはもう少し出世してからにしておこう。

Image4431.jpgそして何といっても戸越銀座の八百屋といえば道の活用である。ただでさえ狭い道だが、売り物の道への占拠がかつてよりも尋常ではない。2年前の残念な戸越銀座通り魔事件の対策も兼ねているのであろうかといわんばかりだ(失敬)。アーケード通りとはいかなる天候でも人が通りやすいように設計されているもの。商店街が一体となって通行人を優先するので、このような血栓のようにせりだした売り物の光景はあまり見ることがない。戸越銀座や砂町銀座にはアーケードなどなく、商店同士が街でつながれているのみでお互いが干渉している体がない。雨が降れば自分で売り物を取り入れる。まるでB型の集合体のように、各売り手が個人プレーを優先している。ここでは通行人のほうが「道」と「街」の違いを理解し、滞ることを楽しむべきである。

おかげでいつもは路地の回遊を楽しんでいるが、戸越銀座に来たらただただ線の往復を楽しんでしまう。おそらく将来はスーパーマーケットよりも個性を持った個店をユーザーが探して選べる情報化社会。まさか戸越銀座の光景に未来を感じようとは、すべての道をパイプでつながれた21世紀像を夢見ていた幼少の自分には想像もしなかったことだろう。まさかパイプどころかアーケードも要らないとは。

Image4471.jpgそんななかで「戸越銀座温泉」なる目新しい看板を見つけ、近ごろ健康を気にする小生はほんの少し横道に入り、温泉に入ってみることにする。この大都内で温泉でぬくんでいる30代の自分は、22から見ればアンチ・ロックの象徴であろう。しかし長く生きていれば、それだけロックできる機会が増えるのだ。家康を見習い、江戸ではよく見られる黒湯を満喫する。

すっかり長居してしまい、商店街へ戻ればもう日が暮れている。日暮れども日暮れども道への商品のせりだしは健在である。細くて長い道をゆっくり楽しく歩く、1.6kmにも及ぶ細くて長い戸越銀座商店街。お隣のアーケードで武装された完璧な武蔵小山パルム商店街が太くて短いビートルズだとすれば、戸越銀座商店街は駄曲も個性と楽しむ生きの長いローリング・ストーンズなのかもしれない。シャッター街にならないストーンズの駄曲中の名曲の「シャッタード」を聴きながら、小生もこの先の風雨にさらされた生命線という街を指で優しくなぞるのであった。



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