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Vol.5: ナイトレイン赤羽

2009年12月05日 20:57

ロスジェネの一切の物質的なものは、そのまま空にすべきか。

Image2561.jpg20代に埼玉で暮らしていた頃の話になる。2時間の飲み放題でどれだけのピッチャーを空にするのかが、鍋の中を空にするよりも優先であった。

そんな週末の深夜、気付けば赤羽で便器を抱いている。何を食べ、何を飲んだのかも覚えておらず、ただ赤羽の便器を抱いている。

「せ・し・す・する・すれ・せよ」

常に吐く時はサ行変格活用を頭で読んで吐く癖(へき)がある。「せよ」で吐けるからだ。いや、学校教育で学んだことを社会人になっても生かしたい。社会に出て活用することのないサ行変格活用をせめて嘔吐に活用しているのかもしれない。

何を食べ、何を飲んだのかも覚えていない小生。涙目で吐いた成果物が便器にこぼれゆく際にかほりが湧き立ち、便器という泉から精霊が現れる。「あなたの落としたものは、金の斧か、銀の斧か」と。小生は成果物を凝視する。もしかすれば、今日食べたものはフォアグラか、キャビアかと。いや、形が残るこのもやし、この玉葱。これは焼きうどんに間違いない。

小生は男三兄弟の次男坊。親にとって長男は当然に金の斧で、三男はいつまでも可愛い銀の斧。子供時代に3人でステーキ屋に連れて行かれても、「僕はハンバーグが好きだから」と、親の金を気にして安物好きを演じていたら、いつの間にか安物しか口に合わなくなってしまった。

精霊、小生に選ぶ権利なんてない。やっぱり小生は焼きうどんを落としたんだ。

Book_01.jpg親は勝手に次男は器用に生きていくもんだと思っている。小生は親にも見られたことのない自分の成果物を見られてもいい友人をつくろう。

そして、吐瀉物でハンバーグを作ろう。
いや、吐瀉物で肉の塊を作ろう。
いや、吐瀉物で自分の子供を作ろう。
そして、吐瀉物で子供を洗う石鹸を作ろう。
いや、吐瀉物で自分自身の思い出を洗おう。
いや、この世にある一切の物質的なものは、そのまま空であろう。

20代に素晴らしい友人に恵まれたことにただひたすらに感謝の念を抱きながらも、最後はどこか自己完結の小生。赤羽という人の賑わいの中で、ただひとり駅の便器を抱いていることにこの上ない安心感を覚えてしまう状況を、30代への積み残し課題とするのであった。


※この記事は過去にmixi日記で投稿したものに修正を加えたものです。
※やや路線が外れてきたので、次はきちんと徘徊録に戻します。
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