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Vol.2: 昭和の下町と江戸の下町

2009年11月22日 00:37

目先の数字より、老眼から見ゆる亀の甲羅干し。

Image5811.jpg一概に東京の下町といっても、その街の性格は大きくふたつに分かれる。「レトロ」で括れるのは両者ともに共通しているが、そのレトロさをどの時代に置くのかで変わるのだ。ひとつは他の新興アジア諸国の都市に見られる雰囲気に近い、雑多で活気の楽しめる"昭和"の高度成長期時代の面影を残す街。一方のもうひとつは昔の佇まいのままの寺社が残されており、"江戸"の風情をほのかに今に残す、静かでどこか落ち着く街である。(浅草のようにその折衷した存在もあるが。)

前者の方は下町を歩けば自ずと見かけることができるが、関東大震災や東京大空襲という決定打のあった東京で、後者に出会うのはなかなかに貴重である。そんな後者の例として挙がってくるのが、ご存知の谷中、根津、柴又、東向島などであろう。

後者の方がその歴史の長さゆえにどこか洗練された印象を与えるのか、惹きつけられた若者の手が入りやすく「レトロ・モダン」としてブランド化されやすい。知人にも下町出身の方がいて、23区東部では珍しく東向島で「江戸前アートプロジェクト」と称したDJイベントを「東向島珈琲店 Pua Mana」で開催している。

とはいえ、江戸以前の風情を残している街が、鎌倉や川越のように若者の持ち込む古民家カフェやアトリエなどの欧米文化によって再生されることの善悪は分からない。ただ、江戸文化から欧米文化吸収の明治文化への幕末の流れのように、このマチ(クニ)を再生したいと思う若者には、「大好きだから、このマチ(クニ)を良くしよう」という純粋な上向きの一辺倒さがある。工場があるから必然的に飲み屋街として栄えた昭和の下町との決定的な違いである。

Image5571.jpg昭和戦後に栄えた新興の下町は"経済"向上のための集まりとして生まれたものであるが、根津や千駄木といった江戸から残る下町は明治維新後も"文化"の取り入れによって今の洗練されたかたちとなっている。川端康成、北原白秋、高村光太郎、永井荷風、森鴎外といった先達が持ち込んだ文化の賜物であろう。谷中や東向島に古民家カフェを設ける今の若者が、そういった未来の先達になることを願う。そうして23区東部の江戸としての下町が先輩として盛り上がるうちに、周りの昭和としての下町も歳を取っていけば、昭和戦後に作られた民家にカフェを設ける若者の時代にもなるだろう。

今の段階では川越のような「小江戸」に勝てる江戸が東京には存在しない。しかし、江戸が東京に残っている限り、小江戸に勝てる江戸を東京で再生できる可能性はある。

「亀有から亀戸に引っ越しました。」こんな粋なメールを楽しめる時代を楽しみに、小生も歳を取ってみようと思う。
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