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Vol.16: 江古田

2010年12月05日 15:51

すべての矛盾を同居させ、中途半端さに特化する、東京のデビッド・ボウイ。

江古田コンパこのブログで江古田を書くにしても、江古田は下町ではなく地盤の硬い武蔵野台地に位置し、歴史的にも江戸前というよりは武蔵野の田舎蕎麦が香る地域。それは重々分かってる。ただ江古田に住み始めてから、下町中毒の小生もすっかり江古田で飲み歩いて完結する生活になってしまった。ただただその魅力をお伝えしたい。


町工場も高層マンションも多く、中途半端に都会のあった板橋区育ちの小生にとって、いたるところに畑が多く点在する練馬区はそのまま「大根」というイメージであった。とはいえ板橋区には何ら西武の作った娯楽施設はなく、初デートの定番といえば、練馬区でありながら「豊島」の名称を持って都会的な背伸びをする豊島園だった。プールの滑り台の頂上や、ジェットコースターから見下ろせる練馬の田舎光景をネタにデートの会話を弾ませた板橋区民の思春期を思い出す。

そんな中で、城北都民のワンランク上の時間を提供できる場所といえば、練馬区にありながら、小生の中学時代から古着屋もあり、洒落た小さな中古LPレコード屋もあり、眺めるだけで憧れたライブハウスやバーのあった江古田であった。中学時代に洋楽を聞いているのはクラス40人中たった10人程度のなかで、ガンズやメタリカやニルヴァーナの自作Tシャツを着た学生が普通に歩いている日芸に侵入するのがたまらなく楽しかった。

IMG_4600.jpgとはいえ、東京に住んでいる人にとって江古田のイメージは多様だ。池袋~練馬間のマイナーな駅だと思っている人もいれば、高円寺や下北沢と比較する雑多な若者の街を想起する人もいるし、”江古田ちゃん”の住んでいそうな中野のサブカルを凝縮した「裏中央線」の印象を持つ人もいる。それに日芸・武蔵野音大・武蔵大の三大学がひとつの駅周辺に集結している学生街だということも忘れてはならない。とはいえ、決して整備された「学園都市」ではなく、あくまで「小早稲田」的な「学生街」、これが重要だ。

金曜日終電近くの江古田駅前の名物光景といえば、大学生たちが干された鰹節のように飲み倒れた光景だ。「お前は今日、最高に頑張ったよ!」と声をかけながら、合コンに敗れた仲間の背中をさすって嘔吐介錯する微笑ましい友情光景。しかしさすがに小生も心配になり、自販機で買った水を差し伸べるが、「あ、大丈夫っすよ」とその友人が言い、その倒れていた仲間も立ち上がる。さっきまで吐いていたのにもかかわらず、「締めに米でも食いてえな」とつぶやきはじめる。

江古田 やぐら七色カクテルで有名なバー「江古田コンパ」の隣に、24時間営業で老夫婦の二人でシフトを切り盛りするおにぎり屋「やぐら」がある。いつ如何なる時もお爺さんかお婆さんがカウンターに立ち、手握りのおにぎりを提供する。何でこんなに歳を追いながら学生の時間を問わない無限な食欲に対する防人のような仕事をするのか。つやつやの米のおにぎりを手渡してくれるおばあさんの指。そんな仕事で荒れた指が、つやつやに磨いた5円玉をいつもお釣にとは別に学生に手渡してくれる。「ご縁がありますように」という満面の笑みとともに。何だろう、この見返りを一切求めない仏のような笑みは。せっかく作ったおにぎりが学生に食われ吐かれているかもしれないというのに。

町自体は何にも特化することなく、入れ代わり立ち代わり学生が新しく持ち込む文化を、時代とともに受け入れては捨てていく江古田は、どこか多様なバックパッカー学生の集うバンコクのカオサン・ストリートと似ている。そして、駅前再開発がなされているが、下北沢と違って反対活動が発生することなく、時代の流れに決して逆らわず受け入れる刹那的な江古田は、どこか仏教的な町である。

江古田界隈「江古田駅」は練馬区に存在するが、練馬区内に江古田という地名はない。練馬区内に江古田駅を置き、「えこだ駅」と西武鉄道は表記したことから、駅の周辺住民は一帯を「えこだ」と読んでいる。しかし、江古田という町名は実際には江古田駅から2キロほど南下した中野区内に「えごた」として存在する。なので中野区を通る大江戸線の新江古田駅は「しんえごた駅」と表記されている。また、江古田駅~中野方面に伸びる「江古田通り」も、練馬区内は「Ekoda st.」であるが、中野区内に入ると「Egota st.」という英字表記になるのだ。だが江古田住民はそれをどちらかに統一しようとも思うことはなく、スーパーに行ってもオバちゃん同士の会話は「えごた」と「えこだ」で交錯する。お互いの方言として認識して干渉はせず、細かいことは気にしない。でもなぜか住民はそんな宙ぶらりんな江古田が大好きなのだ。極めて自由な町である。

江古田市場そんな江古田には何でもある。バーもモツ焼き屋もカフェも市場も洒落たCD屋も。この中途半端さがたまらなく居心地がいい。そりゃ、モツを食うには特化した立石や亀戸まで行った方が遥かに美味い。ファンクを聴くならファンク・バンドの音を聴いたほうがそりゃ上手いし、ロックンロールを聴くならロックンロール・バンドの音を聴いたほうがそりゃ上手い。でも、デビッド・ボウイやベックのようにアルバムごとにジャンルを変えてくる中途半端な緩い音も決して悪くない。

世の中には色んな個性があるし、一人の人格の中にさえ色んな矛盾する構成要素がある。だからお互い見返りなど求めず、ただ同在してしまえばいい。自分が東京でどう思われているかの多面評価は一元的である必要はない。

その中途半端さに特化する江古田は、まるで多神教多宗教の日本の縮図のように思えるほど平和な町であった。
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