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Vol.9: 亀アリ金ナシ飴リカ

2010年01月25日 00:15

Image793.jpg見返りは素材と自分との距離を遠ざける。
得た価値は自分の足で見つけるものではないか。


現在日暮里でひとり暮らしの小生。転々と住む場所を移しながらもリクガメとともに6年近く生活している。アフリカのチャドという国のサバンナから来たケヅメリクガメという種類だ。カメといっても体重はすでに25kgを上回り、中型犬用のケージがすでに狭いくらいである。最初にペットショップで購入した時には手のひらサイズであったが、いやはや、チンゲン菜や小松菜といった草食性でここまで大きくなるとは。今回は下町徘徊録はカメとともにお休みし、カメともに部屋を徘徊しようと思う。

しかし6年間連れ添っても、このリクガメが飼い主のことを認識しているかは謎である。小生の顔よりも小生の手のほうが好きなようで、手を見せればすぐに近寄ってくる。どうやら餌をくれる人格として手を認識しているようだ。餌に関しては、小松菜は大好物でホウレン草にはいっさい口をつけないほどのグルメだというのに。

070819_122607.jpgそんなグルメかつ大食漢のこのリクガメだが、体温の上がる夏場においてはキャベツを2玉も食い干すこともあり、野菜価格高騰の時期には即席麺で3食を凌いでいた学生時代の小生の1日分の食費を上回るほどである。

ひと通り食したあとには、人間のようにぷすうと屁をこき、野菜の芯を枕にして見事にあくびをして眠る。目をつむったあとに聞こえる寝息もかわいいものだ。飼いはじめたときは、きゅっと甲羅に身を収めて寝ていたものだが、今では環境に慣れ、頭と肢体を伸びきっての就寝である。

そんなリクガメに対する愛情は純然たる小生からの一方通行。見返りなど求めたことはない。ただお前がいて小生がいる。リクガメよ、腹が減ったか。リクガメのケージの上で生ゴミとなるリンゴの皮をむき、皮をリクガメが食べ、リンゴを小生が食う。

ペットをはじめ、購買物、観光地などなど。お金を払った分の見返りを求めるこの世の中。見返り分を必死に奪い返すために事前情報を得ようとパンフレットやガイドブックを行動前に読みあさる。しかし、例えば、行き先の土地に対して事前に理想のルートを決めてその通りに現地を行動しては、現地のありのままの生活を体験することはできない。見返りは素材と自分との距離を遠ざける。見返りを求めるよりも、そこに素直に足を踏み入れてみて、得る価値は自分自身で見つけるものではないか。

05.jpgさてと、落合、浦和、日暮里と住む場所を共にしてきたリクガメよ。次に住むマチでも歩いて見つけようか。

引越前になれば冷蔵庫を空にしなければならないな。できるだけ中に入っているものを全て体内へ移動させなければならない。まずはやむなくビール2リットルを完飲。小松菜とモロヘイヤの束はリクガメ小屋へ。皿も全て処分してしまったので、キャベツをちぎって頬張り、そのままドレッシングを完飲か。やはり頬袋精神の小生は生ゴミでもなく、冷蔵庫以上の粗大ゴミだな。

まれに口の中で上手く発酵するものもあるかもしれないと信じて、さあ、リクガメ君、亀有か亀戸か。永い人生を生かして次のマチを探そうか。おいおいカメよ。その短い足でいったいどこまで歩くのだ。
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Vol.8: 戸越銀座

2010年01月10日 00:00

人生にCtrl+zは効かない。戻りたいだけ長く生きよう。

Image441~00煙草の灰が床に落ちそうで手を広げたら、生命線上に灰がこぼれ落ちた。ここが人生の現在地か。人生の3分の1程度しか残されていない地点である。

小生の生命線はとても深い刻みを見せているが、陰りを見せることなく断絶されたかのように短く右手左手ともに終了している。長寿大国の日本とはいえ、大衆の人気の歴史上の人物といえば短命の竜馬や信長や義経のように、太く短い人生を全うした武家ばかり。18歳の頃のロックな小生も、ジミヘンやジャニスのように27歳までに何かしらのファッキン・サムシングで成功して人生を全うするつもりでいたが、この手相に反して可もなく不可もなく30まで過ぎた今では、ただひたすらに自分の手の平の生命線を下へ下へと爪でかいて引き伸ばすことばかりだ。

そんな太く短い人生に憧れ、長い人生を約束されていた新卒企業を半年で退職し、再スタートを切るべく22歳から住み始めたのが戸越銀座だった。無性にその頃が懐かしく思え、久方ぶりに短い東急池上線の車両に三十路の身を揺らしながらこの戸越銀座へとやってきたのだった。

そんな思い出に浸りながら、第二京浜の方角へ徘徊をスタートする。失業手当で生活していたころに、安魚ばかりを買っていたら「もってけもってけ」と魚のアラをただでくれた魚屋さんが左手に今も健在である。いつかは恩返ししなければいけないが、それはもう少し出世してからにしておこう。

Image4431.jpgそして何といっても戸越銀座の八百屋といえば道の活用である。ただでさえ狭い道だが、売り物の道への占拠がかつてよりも尋常ではない。2年前の残念な戸越銀座通り魔事件の対策も兼ねているのであろうかといわんばかりだ(失敬)。アーケード通りとはいかなる天候でも人が通りやすいように設計されているもの。商店街が一体となって通行人を優先するので、このような血栓のようにせりだした売り物の光景はあまり見ることがない。戸越銀座や砂町銀座にはアーケードなどなく、商店同士が街でつながれているのみでお互いが干渉している体がない。雨が降れば自分で売り物を取り入れる。まるでB型の集合体のように、各売り手が個人プレーを優先している。ここでは通行人のほうが「道」と「街」の違いを理解し、滞ることを楽しむべきである。

おかげでいつもは路地の回遊を楽しんでいるが、戸越銀座に来たらただただ線の往復を楽しんでしまう。おそらく将来はスーパーマーケットよりも個性を持った個店をユーザーが探して選べる情報化社会。まさか戸越銀座の光景に未来を感じようとは、すべての道をパイプでつながれた21世紀像を夢見ていた幼少の自分には想像もしなかったことだろう。まさかパイプどころかアーケードも要らないとは。

Image4471.jpgそんななかで「戸越銀座温泉」なる目新しい看板を見つけ、近ごろ健康を気にする小生はほんの少し横道に入り、温泉に入ってみることにする。この大都内で温泉でぬくんでいる30代の自分は、22から見ればアンチ・ロックの象徴であろう。しかし長く生きていれば、それだけロックできる機会が増えるのだ。家康を見習い、江戸ではよく見られる黒湯を満喫する。

すっかり長居してしまい、商店街へ戻ればもう日が暮れている。日暮れども日暮れども道への商品のせりだしは健在である。細くて長い道をゆっくり楽しく歩く、1.6kmにも及ぶ細くて長い戸越銀座商店街。お隣のアーケードで武装された完璧な武蔵小山パルム商店街が太くて短いビートルズだとすれば、戸越銀座商店街は駄曲も個性と楽しむ生きの長いローリング・ストーンズなのかもしれない。シャッター街にならないストーンズの駄曲中の名曲の「シャッタード」を聴きながら、小生もこの先の風雨にさらされた生命線という街を指で優しくなぞるのであった。



今回の徘徊ルート



最新の下町徘徊録