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Vol.7: 立石の笑い飯

2009年12月24日 22:53

ひとの人生へのツッコミよりも、自分なりのボケを築く楽しさと難しさに出会う。

Image776.jpgとある週末、飲み過ぎて終電で寝過ごしてしまう。 当然にもう折り返しの電車はなく、駅でタクシーを拾おうとしたが、この100mの行列では並ぼうという気にはならない。酔い覚ましに大通りまで歩いて拾うことにした。
ようやく空車のタクシーを捕まえ、中に乗り込むと、おそらく還暦ほどの運ちゃんが尋ねる、「どこ行くらか?」。

この"ら"は何なんだと思いつつ行き先の家を伝えて出発し、3分ほど沈黙が続いたが、唐突に「え? 駅に戻って一緒に飲むらか?」と切り出してくる。この一方的な疑問文は何なんだと思いつつ、冷静に「朝早いんすよ」と返答する。

Image777.jpg信号で止まったところに目に付いた「うどん・すし」の店の看板に反応したのか、「うどんとすしは合うらか?」と尋ねてくる。「どうなんすかね」と返すと、「最近の若いもんはうどんの上にすしをのせるらか?」と聞いてくるので、「のせる奴いますよ」と、そこはあえて流れに任せてみる。「戦時中はそんな贅沢はできなかったら。」と返答してくる。「え? 運転手さん、おいくつっすか?」と尋ねると、「昭和22年生まれら。」と普通に返してくる。既に太平洋戦争は終わってるのに、この性格なら色々と人生の中で衝突はあったんだろうなと納得する。


Image786.jpgそんな小生はこの運ちゃんのちょうど半分の人生。この12月に31歳の誕生日を迎え、「三十路」という単語を用いて「なんちゃって30代」の気分を楽しめる1年もあっという間に過ぎてしまった。おしゃれカフェでほっこりするより、立石のモツ焼屋「ミツワ」でしっぽり楽しんだ誕生日の夜を思い出す。すべて180円のモツ皿、なみなみ注がれた180円のストレート焼酎。狭い店の中は50過ぎのおっさんばかりだが、愚痴は聞こえず、会話がすべて笑い声とともに放たれている。「おめえは中学校ん時から馬鹿だったっはは」、「おめえなんて小学校から馬鹿だったっはは」、「うちの親が馬鹿だからしょうがねえっはは」、とことんまでゴールのない会話をかぶせ合いながら、千鳥足のふたりが笑い合って肩を組み、狭い店内を出て立石仲見世商店街の共用の便所へと連れションに旅立っていった。


Image778.jpg気持ちのいい転寝から覚めると家の近くに着いており、狭いタクシーを降りようとしたところ、運ちゃんから「あんた、タバコ吸うらか?」と言われてうなずくと、おもむろに運ちゃんから手渡されたタバコが"わかば"だった。

「戦時中によく吸ったんら」と、屈託のない満面の笑みで話す運ちゃんのサービスのすべてを前にしたら、それが天然か確信的かという疑いの分岐など、どうでもいいほどに小さなことであった。
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Vol.6: 山谷(日本堤・清川)

2009年12月18日 00:29

胃の中の食わず。人生の黒字を探し求めて。

Image580.jpg小生は幼き頃に食べ物の大切さだけを徹底的に教えられ、あとちょっとだけ腹に入らずに残してしまう量の食料を、リスの真似をして精一杯頬袋に収めたことがある。リスのようにいつまでも食料を無駄にせずに保存しておけると思ったからだ。やがて頬袋という、人体には無理のある姿勢のままでいることが逆に楽しくなってしまい、おそらく半日ほどその頬袋を保ったのだった。しかし体温に包まれて痛んでしまった食料を最後に飲み込んでしまったせいか、下痢となって排泄され、腹を痛めただけでなく栄養分は体のなかに吸収できなかった。

さて、そんな貧乏性を植えつけられた小生ももはや三十路になり、自分の稼いだ金で南千住の老舗の名店「尾花」で3500円の鰻でも食すことにする。おそらく今年最大に近い贅沢であろう。下の「胃の中の徘徊」で後述するが、とかくふわふわな白焼きと、とかく滑らかな鰻重を胃へと放り込む。何でも口に入れればいいってもんではない。美味しいものを食べれば、それだけ人生は黒字になるんだ。そんな思いにふけったのは、今回の徘徊のうちでこの瞬間だけであった。

胃の中を満たした後は、関東最大のドヤ街「山谷」へと入るべく常磐線を歩道陸橋で渡ろう、と階段に足を乗せたところ、右手に何やら殺気のようなものを感じる。目を向けると、な、何なんだ、こちらを見るあの無表情で巨大な石仏は。

Image5761.jpg思わず歩を右に向けて進み、案内板を見ると、なんと「小塚原刑場跡」とあるではないか。有名な心霊スポットであり、江戸時代の三大刑場のひとつであるが、ここにあるとは知らなんだ。しかしこの「首切地蔵」といわれる巨大な石仏、あまりに無表情すぎるあまり、どの位置に身を置いてもこちらを見ているかのような錯覚に陥る。その石仏の背後には、いつからあるや分からぬ墓石がカオスのように肩を寄せ合い、なおかつ犬が狂ったかのように吠える光景に不吉なものを感じ、足早に山谷方面へ向かうべく歩道陸橋に駆け上がったのであった。

歩道橋を越えて少し歩くと「泪橋」交差点がある。この交差点を境に南に広がるは日本堤・清川の地域。いよいよ関東最大の日雇い労働者の街「山谷」に足を踏み入れようとする時、ふと目に入る区の案内板を読んでみる。どうやら小塚原刑場に向かう囚人や、その死刑を見送る親族が泪を流したことから、この地を「泪橋」と呼ぶようになったという。

Image578.jpgもしやあの歩道陸橋が泪橋であったのでは。お前の胃の中にいる肥えた鰻が皮を剥がされ、頭を落とされたかのように、ここでは人が殺されたのだと首切地蔵は伝えたかったのか。なんとも不吉なものを背負い続けながら泪橋交差点を渡り、急に路地に入るのは危険と感じ、まずは大通り沿いに南下する。すると信号という概念を守らず、あちこちから車道を横断する日雇い者風情の初老が現れる。若い人はまったく歩いていない。すでに60は過ぎていようかという男性ばかりだ。顔には元気がないが、その顔に似合わず仕事上の関係か、贅肉のなくがっしりとした体つきの方が多い。

ちょっと広めの横道を右の日本堤に入り、少し路地を入ると、アパートより小さめの格安の簡易宿泊所を多数目撃する。1泊の相場が2000円程度で、1ヶ月を過ごすと家賃は6万円換算になり、ネットカフェ難民よりははるかに良い生活をしているといえる。どこの簡易宿泊所の看板にも「カラーテレビ完備」の表記があり、一文字一文字の色を変えてカラフルにあしらってあるのが懐かしい。

Image5791.jpg「いろは会」というアーケード商店街に入る。見事なまでのシャッター街で、10件のうち9件は閉まっている状態である。本日は土曜だから仕事日ではないのだろうか。路上で日雇い労働者たちがあぐらをかき、何を語るでもなくそこいらで集まっている。とてもではないが、彼らを写真に撮る勇気はない。彼らのしゃがんでいる場所に無数にダンボールが配置されているのを見ると、おそらく簡易宿泊所に泊まるというのは毎日ではなさそうだ。

「いろは会」のアーケードを抜けると大通りに出て左折。このドヤ街に似つかわしくないほど伝統と格式を放つ桜鍋や天麩羅の名店が並び、何故だと思いながらもう少し南下してみると交差点の看板に「吉原大門」の文字が。交差点の向かいの通りを見ると多数のソープ店が並んでおり、かつての遊郭の名残を見ることができる。交差点を渡りたがるセガレに鞭を入れ、反対側の清川にズボンの中のぴょん吉の矛先を向けて落ち着かせることにする。

日本堤から清川に渡っても、基本的にドヤな風景は変わらない。清川の中心的スポットといえる玉姫稲荷神社の隣の玉姫公園にいたっては、完全にテント場と化しており、公園としての機能を果たしていないほどだ。(とはいえ、ネット内の小さな野球場では子どもたちだけで野球をしている姿が印象的だった。)

Image582~00ここでもう山谷の徘徊は終わりになろうかというところ、日当たりが良くなってきたせいか、昼間から先達たちが路上に座ってワンカップ酒や発泡酒をあおり、タバコをふかしはじめる。ツマミもないし、会話もない。なぜ明日食っていくのに精一杯な人たちが、酒やタバコという害なものには金を惜しまないのだろうか。

ふと考えてみる。小生が幼き頃に腹を害した頬袋とは、いわば今の小生が嗜む酒やタバコと同じではないのかと。長期的な将来のビジョンがなく、されど食べ物を無駄にしたくないので、賞味期限にせかされることが煩わしくなり、賞味期限との縁が遠いものを買おうとする。そうすれば大金を積んで冷蔵庫を買う必要もなくなり、缶詰と酒瓶とタバコを繰り返すことになる。

確かに缶詰を開ける腕力さえあれば、なんとかライフラインは確保できる。それ以上の腕力をつけて何を自分から興そうとは考えず、仕事で肉体労働が必要であれば、必然的に仕事ができるだけの腕力が身についてくる。

それに比べ日本の中産以上の階級の風習では、逆に腕力をつけるためにジムに金を払っている。長期的な将来のビジョンを考え、先に金をかけて自分自身の体をマネジメントすることで、生活スタイルにプラスの循環を与えている。されど世界の国にはカロリーを取りたくても取れない人がいる状況の中で、金を払ってまでして取ったカロリーを捨てる行為がこの国に蔓延し、なおかつ長生きする分の摂取カロリーを世界に養わせることに、小生は土下座の念を抱かずにはいられないのだ。

一方で徘徊とはタダであり、しかも歩いた分だけ目にしたものを学習でき、カロリーを無駄に殺生することがない。いったい何が人生の黒字なのかの答えを求めて、また歳を取る歳月を徘徊してみようと思うのであった。



胃の中の徘徊:「尾花」(鰻)

常磐線とドヤ街の喧騒の中、孤高に佇む老舗の名店。

Image5721.jpg三ノ輪橋商店街を一通り散策し、南千住仲通商店街を通過。徐々に常磐線の線路の騒音や、「カラーテレビ完備」と書かれた1泊2200円程度の安宿が現れ、山谷地区の面影が漂い始める。そんな中、常磐線の線路沿いに、突如しっかりとした門構えと庭園で行列客を囲い込む高級趣な当店を発見。

日曜日の時刻は12時半。列を見るに30人くらいの待ちであろうか。だが12時から入った客が次々と食事を済ませたおかげで、30分もせずに店内へと足を踏み入れられる。列に並んでいる際に注文を済ませるおかげで、それほど待たずして料理が届くようになってるようで回転も良い。私は鰻の白焼き、連れは3500円のうな重を注文しておいた。

どっかりとあぐらをかき、ビールと御新香で期待値を高めていると、20分ほどで鰻群が到達。想定していたよりもやや白焼きが小ぶりであるのは残念な印象。その分、味で舌を迎え入れてくれるのだろうと、おもむろに箸で身を切り、タレをつけ、わさびをひとつまみ。それを白飯に乗せ、一気にほおばる。なんと、クチコミを裏切らないふわふわぶり。香ばしさはなく、とにかくサラサラでふわふわなのだ。合い間に肝吸いをすすりつつ、10分ほどで完食してしまう。

そしてその勢いで連れのパクついているうな重も一口いただくと、なんと、うな重の方が遥かに美味いではないか。白焼きはそれ自体はあっさりなのであるが、つけるタレが相当に濃い味になっている。なので白焼きは「あっさり」にも「濃厚」にも振り切れない印象なのだ。それに比べてはじめから「とにかく鰻は濃厚」に徹しているうな重の方がなんとも潔いことよ。この店の鰻の良さとタレの良さを余すことなく楽しむことができる。また、口の中でワイルドなうな重には小骨などはエッセンスとして許せるのだが、ふわふわで上品な白焼きに小骨があるのが口ざわりとしてやや残念である。白焼きで3300円のコストパフォーマンスは少し悔やまれるので、次の来店時にはうな重にトライしてみようと思う。


今回の徘徊ルート

Vol.5: ナイトレイン赤羽

2009年12月05日 20:57

ロスジェネの一切の物質的なものは、そのまま空にすべきか。

Image2561.jpg20代に埼玉で暮らしていた頃の話になる。2時間の飲み放題でどれだけのピッチャーを空にするのかが、鍋の中を空にするよりも優先であった。

そんな週末の深夜、気付けば赤羽で便器を抱いている。何を食べ、何を飲んだのかも覚えておらず、ただ赤羽の便器を抱いている。

「せ・し・す・する・すれ・せよ」

常に吐く時はサ行変格活用を頭で読んで吐く癖(へき)がある。「せよ」で吐けるからだ。いや、学校教育で学んだことを社会人になっても生かしたい。社会に出て活用することのないサ行変格活用をせめて嘔吐に活用しているのかもしれない。

何を食べ、何を飲んだのかも覚えていない小生。涙目で吐いた成果物が便器にこぼれゆく際にかほりが湧き立ち、便器という泉から精霊が現れる。「あなたの落としたものは、金の斧か、銀の斧か」と。小生は成果物を凝視する。もしかすれば、今日食べたものはフォアグラか、キャビアかと。いや、形が残るこのもやし、この玉葱。これは焼きうどんに間違いない。

小生は男三兄弟の次男坊。親にとって長男は当然に金の斧で、三男はいつまでも可愛い銀の斧。子供時代に3人でステーキ屋に連れて行かれても、「僕はハンバーグが好きだから」と、親の金を気にして安物好きを演じていたら、いつの間にか安物しか口に合わなくなってしまった。

精霊、小生に選ぶ権利なんてない。やっぱり小生は焼きうどんを落としたんだ。

Book_01.jpg親は勝手に次男は器用に生きていくもんだと思っている。小生は親にも見られたことのない自分の成果物を見られてもいい友人をつくろう。

そして、吐瀉物でハンバーグを作ろう。
いや、吐瀉物で肉の塊を作ろう。
いや、吐瀉物で自分の子供を作ろう。
そして、吐瀉物で子供を洗う石鹸を作ろう。
いや、吐瀉物で自分自身の思い出を洗おう。
いや、この世にある一切の物質的なものは、そのまま空であろう。

20代に素晴らしい友人に恵まれたことにただひたすらに感謝の念を抱きながらも、最後はどこか自己完結の小生。赤羽という人の賑わいの中で、ただひとり駅の便器を抱いていることにこの上ない安心感を覚えてしまう状況を、30代への積み残し課題とするのであった。


※この記事は過去にmixi日記で投稿したものに修正を加えたものです。
※やや路線が外れてきたので、次はきちんと徘徊録に戻します。

Vol.4: 山谷ブルース

2009年12月02日 23:40

歳を取るという毎日の初体験を、人生の趣味としよう。

学生時代はロックにすべてを捧げたといってもいいが、ふと考えればこの日本で洋楽ロックを聞いている人は、英語に抵抗のないどちらかといえば高学歴に多い傾向がある。例えばロッキングオンやミュージックマガジンというロック雑誌は、知的解釈でロックを楽しむためのものであり、初期衝動として「叫ぶ」ロックとは完全に相反している。イギリスの労働者階級出のロッカーの悲痛な叫びを、総中産階級国家の日本のユトリあるロック好きは嗜好品として楽しみ、プレミア盤に何万円と注ぎ込むハイソなカルチャーとしているのだ。

そんな小生も普通に中学・高校を卒業して大学に入り、いち早く洋楽ロックを聞くことで周りよりも上のステータス感を味わう生意気な小僧であった。とはいっても親が普通の公務員の小生には好きなロッカーのように不幸なバックボーンはなく、(今考えれば相当に罰当たりなことだが)酒に溺れるストリート育ちだとか、ヤク中で体の血を丸ごと入れかえただとか、そういった底辺な境遇にたまらなく高いステータス感と憧れを抱いたのだった。

そもそもロックやブルースとは、同じ境遇の叫びに共感して社会に物申すもの。新宿のブルース・バーのマスターには、「大学通ってる坊ちゃんには本当のロックなんて分からないよ」とまで言われ、もはや小生にはロックする権利など残されていないのではなかろうかと頭をかきむしる。

自分がロックする権利などなくていい。ただ、本当のWorking Class Heroとは何なのかを教えておくれよ。そんな大学時代の小生が日雇い労働で貯金し、向かった先がロンドンであった。ZONE3の、全く同じ形の小さい戸建が何十軒と並ぶ労働者階級の家庭でのホームステイ。毎晩の食卓がキャベツの千切りの酢漬けに食パン。台所には安酒の瓶の摩天楼。家の長男はピストルズやクラッシュ好きのヤク中。街に出ても、終電の地下鉄を降りようとすると、プラットフォームの喧嘩で吹っ飛んできた男に地下鉄の中に押し戻される。ようやく地下鉄を降り、帰り道を歩いても気の狂ったように「PUSSY」と書かれた壁。ゴミ集め場にはゴミ袋を敷布団にして大の字で寝る人がいる。「ロックな光景」が一気に憧れからリアルへと変わっていく。それまで満ち足りた生活にはない刺激とストレスを与えるためのツールとしてロックを聴いていたが、この土地では刺激ばかりの生活の鬱憤を晴らすためにロックを聴いているのだ。

東京に帰ってきても、あれほどの光景は赤羽・蒲田・新小岩・北千住の四天王をもってしても見ることはできない。はたして東京でリアルにロックしてる街など存在するのであろうか。そうこうしているうちに社会に出て、仕事にかまけているうちに小生の中でロック離れが進み、20代が終わってしまう。

腹回りには肉がつき、明太子をつまみながら幸せに晩酌を楽しみ、そのまま干された鰹節の塊のごとくごろりと寝てしまう三十路。健康診断での尿酸値でも平均値を超え、学生時代にもっとも非ロック的としてHATEしていた大人像の天国への階段に、確実に足を踏み入れている。

いかん、もう一度ロックを探せ。されどロンドンへ行く時間などない。そうだ、山谷があった。山谷へ行こう。
こうして三十路の小生は、再びロックするために下町へ繰り出すのであった。

(次号「三ノ輪、山谷」へ続く)


最新の下町徘徊録


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