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Vol.16: 江古田

2010年12月05日 15:51

すべての矛盾を同居させ、中途半端さに特化する、東京のデビッド・ボウイ。

江古田コンパこのブログで江古田を書くにしても、江古田は下町ではなく地盤の硬い武蔵野台地に位置し、歴史的にも江戸前というよりは武蔵野の田舎蕎麦が香る地域。それは重々分かってる。ただ江古田に住み始めてから、下町中毒の小生もすっかり江古田で飲み歩いて完結する生活になってしまった。ただただその魅力をお伝えしたい。


町工場も高層マンションも多く、中途半端に都会のあった板橋区育ちの小生にとって、いたるところに畑が多く点在する練馬区はそのまま「大根」というイメージであった。とはいえ板橋区には何ら西武の作った娯楽施設はなく、初デートの定番といえば、練馬区でありながら「豊島」の名称を持って都会的な背伸びをする豊島園だった。プールの滑り台の頂上や、ジェットコースターから見下ろせる練馬の田舎光景をネタにデートの会話を弾ませた板橋区民の思春期を思い出す。

そんな中で、城北都民のワンランク上の時間を提供できる場所といえば、練馬区にありながら、小生の中学時代から古着屋もあり、洒落た小さな中古LPレコード屋もあり、眺めるだけで憧れたライブハウスやバーのあった江古田であった。中学時代に洋楽を聞いているのはクラス40人中たった10人程度のなかで、ガンズやメタリカやニルヴァーナの自作Tシャツを着た学生が普通に歩いている日芸に侵入するのがたまらなく楽しかった。

IMG_4600.jpgとはいえ、東京に住んでいる人にとって江古田のイメージは多様だ。池袋~練馬間のマイナーな駅だと思っている人もいれば、高円寺や下北沢と比較する雑多な若者の街を想起する人もいるし、”江古田ちゃん”の住んでいそうな中野のサブカルを凝縮した「裏中央線」の印象を持つ人もいる。それに日芸・武蔵野音大・武蔵大の三大学がひとつの駅周辺に集結している学生街だということも忘れてはならない。とはいえ、決して整備された「学園都市」ではなく、あくまで「小早稲田」的な「学生街」、これが重要だ。

金曜日終電近くの江古田駅前の名物光景といえば、大学生たちが干された鰹節のように飲み倒れた光景だ。「お前は今日、最高に頑張ったよ!」と声をかけながら、合コンに敗れた仲間の背中をさすって嘔吐介錯する微笑ましい友情光景。しかしさすがに小生も心配になり、自販機で買った水を差し伸べるが、「あ、大丈夫っすよ」とその友人が言い、その倒れていた仲間も立ち上がる。さっきまで吐いていたのにもかかわらず、「締めに米でも食いてえな」とつぶやきはじめる。

江古田 やぐら七色カクテルで有名なバー「江古田コンパ」の隣に、24時間営業で老夫婦の二人でシフトを切り盛りするおにぎり屋「やぐら」がある。いつ如何なる時もお爺さんかお婆さんがカウンターに立ち、手握りのおにぎりを提供する。何でこんなに歳を追いながら学生の時間を問わない無限な食欲に対する防人のような仕事をするのか。つやつやの米のおにぎりを手渡してくれるおばあさんの指。そんな仕事で荒れた指が、つやつやに磨いた5円玉をいつもお釣にとは別に学生に手渡してくれる。「ご縁がありますように」という満面の笑みとともに。何だろう、この見返りを一切求めない仏のような笑みは。せっかく作ったおにぎりが学生に食われ吐かれているかもしれないというのに。

町自体は何にも特化することなく、入れ代わり立ち代わり学生が新しく持ち込む文化を、時代とともに受け入れては捨てていく江古田は、どこか多様なバックパッカー学生の集うバンコクのカオサン・ストリートと似ている。そして、駅前再開発がなされているが、下北沢と違って反対活動が発生することなく、時代の流れに決して逆らわず受け入れる刹那的な江古田は、どこか仏教的な町である。

江古田界隈「江古田駅」は練馬区に存在するが、練馬区内に江古田という地名はない。練馬区内に江古田駅を置き、「えこだ駅」と西武鉄道は表記したことから、駅の周辺住民は一帯を「えこだ」と読んでいる。しかし、江古田という町名は実際には江古田駅から2キロほど南下した中野区内に「えごた」として存在する。なので中野区を通る大江戸線の新江古田駅は「しんえごた駅」と表記されている。また、江古田駅~中野方面に伸びる「江古田通り」も、練馬区内は「Ekoda st.」であるが、中野区内に入ると「Egota st.」という英字表記になるのだ。だが江古田住民はそれをどちらかに統一しようとも思うことはなく、スーパーに行ってもオバちゃん同士の会話は「えごた」と「えこだ」で交錯する。お互いの方言として認識して干渉はせず、細かいことは気にしない。でもなぜか住民はそんな宙ぶらりんな江古田が大好きなのだ。極めて自由な町である。

江古田市場そんな江古田には何でもある。バーもモツ焼き屋もカフェも市場も洒落たCD屋も。この中途半端さがたまらなく居心地がいい。そりゃ、モツを食うには特化した立石や亀戸まで行った方が遥かに美味い。ファンクを聴くならファンク・バンドの音を聴いたほうがそりゃ上手いし、ロックンロールを聴くならロックンロール・バンドの音を聴いたほうがそりゃ上手い。でも、デビッド・ボウイやベックのようにアルバムごとにジャンルを変えてくる中途半端な緩い音も決して悪くない。

世の中には色んな個性があるし、一人の人格の中にさえ色んな矛盾する構成要素がある。だからお互い見返りなど求めず、ただ同在してしまえばいい。自分が東京でどう思われているかの多面評価は一元的である必要はない。

その中途半端さに特化する江古田は、まるで多神教多宗教の日本の縮図のように思えるほど平和な町であった。
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Vol.15: 立石 2

2010年08月29日 19:59

モツを食して内臓を修復。これであなたもタティシエだ。

ミツワの煮込みこの6月に日暮里から江古田へと移り住み、当ブログの更新もぱたりとなくなり、すっかり下町を捨てたなどと揶揄される毎日。小生自身も、ほどほどに雑多、ほどほどにカルチャーあり、ほどほどにのどかな江古田の街に徐々に心を奪われ、戦後までは田畑だらけであっただろう緑豊かな練馬の街並みを爽やかに自転車で走り抜けるという、ヘルシー極まりない生活にすっかり甘んじてしまっている。環七の豊玉陸橋の標識を見れば、亀有まで20kmという下町との距離感。小生はこんなに歴史のない新興都市に踊らされていていいのだろうか。下町から城北気質になりつつある自分に喝を入れつつ、当ブログの原点である立石を再び綴ろうと思う。


世の中にはラーメン博物館が存在するが、立石とは街自体が酒場博物館である。土曜の昼間になれば、首都圏のあちらこちらから呑み助が京成の列に乗って立石にやってきては、昼酒を求めて店々の列に並び始める。日曜は閉まる店が多いため、当然に土曜はどの店も混む。なので平日に有給を取って立石にやってくる助までいるというから驚きだ。

それもそのはず。食べログのマップで立石周辺を見てみるといい。狭い場所を赤い星マークが埋め尽くしている。そんな立石は葛飾区役所のお膝元にあることもあいまって、「下町の首都」さらには「酒都」とまで形容される。なかでもモツ焼きの名店「宇ち多"」は、「宇ち中」や「宇ち入り倶楽部」なるファンサイトまで存在するほどのカリスマ的存在で、下町の大衆酒場において頂点に君臨する。(ちなみに宇ち多"ファンにとっては宇ち多"に行くことを「宇ち入り」と表現するようだ。) 店内にはメニューがなく、客は「レバたれ若焼き」や「タン生」などの暗号の掛け合わせで注文する。この敷居の高さが常連になりたいとさせる意欲を掻き立てる。

蘭州の香菜そばそんな立石の酒場群は美味いのは当然だが、破格なほどに安い。「宇ち多"」や「ミツワ」であれば、2杯と2品で1000円でお釣が来る。慣れた"タティシエ"たちは1店舗で胃と肝臓を満たさず、ほどほどに楽しんだ後には他の店へといそいそと走り列に並ぶ。立ち食い寿司の「栄寿司」に濃厚餃子の「蘭州」に鳥半身丸上げの「鳥房」など選択肢が無限にあり、気付けば最終的には千鳥足で店移動。家族の目を盗んで独り酒を楽しみにきたお父さん、気の知れた男同士、さらにはホルモン好きな食通の女性まで、様々な客層が笑顔で列に並んでいる光景が心地よい。小生はそんな大人のテーマパークの立石を「舌町」と評している。


宇ち多東京西側在住の人は口を揃えて言う。「ホルモンだったら、中野や高円寺や中目黒でも楽しめるじゃないか」と。しかし中野や高円寺や中目黒のホルモン屋は、若者が下町大衆文化に憧れて吸収してから店舗を出した印象が強く、どこか小洒落てしまっている感が否めない。たしかに駅前は下町風情の雑多な雰囲気はあるが、一歩入れば閑静な住宅街という違和感がつきまとう。演出としての瓶ケースの椅子やドラム缶のテーブルの粗雑な店に対して、なぜかビール1杯500円以上を支払うというリアリティの矛盾に。

立石仲見世しかしそれだけのコストを払いながらも立石の味のクオリティには到底及ばない。中野や高円寺には、まるで黒人ブルースに憧れたイギリス白人小僧の「ホワイト・ブルース」のように、どこかプラスチックでリアルなグルーヴがないのだ。もっとマディ・ウォーターズのように"地に足着いたアーシーなロックンロール"がほしい、そんなルーツ開拓の浪漫のある方は、ぜひ「スタンディング・ロック・シティ」に足を運ぶべきだと思う。

そしてちょうど9月4日(土)は町を上げての立石フェスタ。なぜかサンバカーニバルや音楽祭までやるというから、やや期待よりも心配がつきまとう。「中央線沿線ごときに負けねえよ。」そんな無理して若ぶった立石もまた興味深い。応援のため、久々に下町に向かうのであった。

[立石フェスタ2010公式WEBサイト]

Vol.14: 西日暮里

2010年05月09日 22:36

江戸と東京の文化の矛盾が交差する下町のイスタンブール。

Vol.14: 西日暮里しばし続いた東京下町生活にもそろそろ終止符を打ち、6月に都内某所へと引っ越すことになった。充実した下町生活の拠点として大いに機能してくれたことへの感謝を込めて、総力を上げて西日暮里を綴ろうと思う。

西日暮里駅。東京に住んでいる方なら馴染みのある山手線の駅だと思うが、意外に駅そのものの歴史は浅く、1969年の千代田線開業によって地下鉄西日暮里駅が設けられ、山手線側も乗り換え用の駅として田端―日暮里間に1971年に設置した新しい駅である。現在では日暮里・舎人ライナーの西日暮里駅も尾久橋通り上に構えられ、1日あたりの乗降客数が50万人近くに達する西日暮里駅は、首都圏でも主要な通勤のHUB駅に成長した。また、南の上野や東の千住や北の王子へは10分圏内、西の谷根千へは徒歩圏内、駅前からバスを活用すれば三ノ輪経由で浅草雷門にすぐに出ることができる西日暮里は、週末の東京下町巡りにおいても最重要なHUBとなる。

Vol.14: 西日暮里ただ、長期的な都市計画もなく急ぎで駅が設置されたため、駅前にはロータリーもなく、今やこれほどまで客数が成長したのにもかかわらずJR駅の改札口はひとつのみというありさま。何ら都市整備されていないおかげで駅周辺はさまざまな文化要素が混在した街模様を呈しており、少し歩くだけでころころと景色が変わり行く様が非常に面白い。

Vol.12: 谷中」で紹介したように、西日暮里も山手線の内側が寺社と元武家屋敷の江戸風情の残る高級住宅地で、外側が戦後昭和以降の復興街で明確に二分されるのが前提にある。どちらかといえばラブホテルや飲食店の輝く山手線の外側の風景を西日暮里の印象として焼き付けている人が多数かもしれないが、実は関東随一の私立名門校である開成学園が西日暮里にあることを知らない人が多い。ここが西日暮里の面白さである。なぜこんなにも山手線を隔てて街の様子にギャップがあるのかといえば、田端・西日暮里・日暮里の間には山手線を横断できる道路が各々の駅にしかないからだ。

Vol.14: 西日暮里まず西日暮里を訪れたなら、徘徊はやはり山手線内側の高台にある道灌山公園からスタートして、眺望満喫からおすすめしたい。まずは昭和の絶景。東に見える7階建てのラブホ屋上の看板が水平線上に見えることを考えると、山手線を隔ててこちらの高台とは10m以上の海抜差がある。そして道灌山公園から木造建築や寺社の連なる諏訪台通りを日暮里の方に歩くと、西日暮里の中心である諏訪神社が現れ、敷地を奥に進めば、山手線・京浜東北線・高崎線・宇都宮線・東北上越新幹線のビューの拝める鉄道ファン向けの撮影ポイントがあり、さらにこれらのJR線の向こうのラブホの隙間からは日暮里・舎人ライナーの姿を垣間見ることもできる。お次は江戸の絶景。もう少し諏訪台通りを進んだところにある富士見坂は、澄んだ冬には富士山の雄姿を見ることのできる東京では数少ない坂である。このまま坂を下って谷中の方に足を向けてお江戸風情を満喫したいかもしれないが、日暮れとともに眠る日暮里のお江戸。この時間からは山手線の向こうの眼下に光る昭和のネオン街に行くしかない。

Vol.14: 西日暮里先ほど山手線をまたげる導線が数少ないと述べたが、地元民しか知らない秘密の通路が存在する。なんと諏訪神社の奥まで進むと、線路の下へと続く階段があるのだ。その階段の一番下の方には山手線をくぐることのできるトンネルがあり、青電球の光が中から怪しく輝いている。昼でこそ通路として認識できるが、夜に通るには相当な勇気が必要だ。入ってみたらそこは落書きと放置自転車の散らばる空間。一気に抜ければそこは目と耳を喧騒が包み込む。この秘密の通路は「江戸東京のボスフォラス海峡」と形容しても良い。先ほどの静寂からこの喧騒への急激なコントラストの印象を、「文明開化の音」とするか「文明劣化の音」とするかも判断の難しいところだ。

Vol.14: 西日暮里パチンコとラブホテルのネオンは前述の通り。真新しいモノレールの日暮里・舎人ライナーの近未来な高架線の下を、ボロボロに古い京成線と常磐線の高架線や田端車庫へと向かう貨物線が交差するように走る。そう、東京から北~東の鉄道網は、上野よりも先にまず西日暮里~日暮里に集結するのだ。まさに西日暮里は「東京下町への臍の緒」。そんな鉄道客の目に留まるように、ビルは高架線よりも高くなって店看板や広告をアピールし、小香港のような街模様になったのであろう。まるで人の視線を太陽光のように思い、我先にとビルが樹木を伸ばした雑木林のようで興味深い。

Vol.14: 西日暮里江戸っ子は多くは語らず、着物は控えめに小粋に裏地の柄にこだわるもの。いやいや、感情を素直にアピールするのがこれからの東京のモダンなスタイル。モンテスキューなど知らぬままに欧米思想を「個人主義」と単純解釈した結果、看板をどこよりも派手にアメリカっぽく作ってみる。このネオンの過剰なアピールは、アジア諸国同様に、欧米文化に手っ取り早く憧れてしまった結果の喧騒風景といえるのではないだろうか。おかげで太いフォントの飲み屋やラブホの看板だけでなく、アラビアの匂いの強い怪しげなスペイン料理「アルハンブラ」、モツ焼きの名店「喜多八」(吉田類の酒場放浪記でも取り上げられた)、食べログで4点以上を保持する「西日暮里ホルモン」など、多種多様にギラついた名店がこの西日暮里の東地区に混在している。特に「喜多八」は、名物の味噌ベースのモツ煮を求めた客で毎日満員だ。

Vol.14: 西日暮里このなかでも最も文化の交差点の“西日暮里らしさ”を体現しているのが、駅に程近く怪しげな外観を放つ喫茶店「フィレンツェ」である。店名とはまったく関係なく自慢のメニューは生姜焼き定食。店の中に入ればレトロかつファンシーすぎる洋家具と人形がお出迎え。テレビで芸能ニュースを見ているマスターのママが下世話な芸能人ネタで果敢に客に絡んでくる。どうにもITとは縁遠い雰囲気だが、「インターネット無料」という看板があり、なぜか何年も前から無線LANのつながる通信環境を整えている。おかげでWEB業界人の社交場と化しているのか、「西日暮里フィレンツェ倶楽部」なるオフ会が存在し、twitterのハッシュタグで声を掛け合い、フィレンツェでのライブ映像はUstreamで配信されているという先進ぶり。この店、いやこの街の底知れぬ文化の吸収力にはただただ脱帽する。

Vol.14: 西日暮里江戸と東京のさまざまな文化が線路をまたいで存在する西日暮里。元々が山手線の内側のように高台であれば背伸びする必要はない。一方で背が低ければ高くなるために様々な試行錯誤を繰り返す。そんな江戸と東京を分かつのは虹色のようにカラフルなJR列車の束。小生は雑居ビル5階の自宅の荷物をまとめ、虹色のひとつである黄緑色の山手線へと乗り込み、次の東京の引越先へと向かうのであった。

Vol.13: 京急

2010年04月01日 22:23

130円で乗れるアトラクションに、下町モノづくりの男気を買う。

01.jpg関西には、例えば阪急・阪神のように大阪(梅田)・三宮の間をJRと始点・終点を同じくして併走するガチな競合私鉄が多いが、関東には新宿・八王子(高尾)の間をJRと併走する京王くらいしか思い浮かばない。いや、いた。これ以上なくJRとがぶり四つの勝負を挑む京急が。

始点の品川をJRと共にし、横浜駅をめがけてガチで併走する京急。JRと京急の併走間は常に1kmないほどだ。品川・横浜の始点・終点は揃えども、JRの蒲田駅に対しては「京急蒲田駅」、JRの川崎駅に対しては「京急川崎駅」と、ゴール前の地点においては敵に駅を合わせようとはせず、独自の陣地を張り続ける。

しかし京急だけでJRを相手にするのは並大抵のことではない。JRには近隣住民むけに各駅停車に徹する京浜東北線と、遠方住民向けに駆け抜ける東海道線という使い分けのゆとりがある。それを京急は2本しかない線路で相手にするのだ。しかも京急はもともと路面電車がベースの曲線区間が長いため、高速運転は容易なことではない。

だが京急はその土地のハンデを技術でカバーし、あくまで速達性を前面に売り込む。なんと、そもそもが高速運転向けに地下で直線設計されたつくばエクスプレスに接近する最高120km/hで、快特は大田区や川崎の密集住宅街の曲線を練り抜けるのだ。

04.jpg車両面では、「ドレミファ」音で有名なシーメンス社製モーターをいち早く導入するなど加速性能をまず武装し、曲線は細かな加減速の繰り返しで補う。当然に揺れてしまう車体は改造と新型の投入でさらに補う。さらに土地面積のハンデを、通過用駅や車両をフル活用したダイヤで補う。各停といえども時として100km/hを越す速度を出してなんとか通過用駅に滑り込み、すぐ後ろを追う快特に速やかにバトンを渡して速やかに自らも出発する。「京急ウィング号」にいたっては、あの横浜駅すらも通過するほど遠方からの通勤客に特化させてしまうダイヤ設計の潔さの妙である。この限られた資源の中で創意工夫する京急は、お膝元の大田区、いや日本のモノづくり精神を体現しているかのようだ。

通過駅のプラットフォームを容赦なく120km/hで駆け抜ける快特。マサカリの如く猛速で閉まる旧式の片扉。京急蒲田駅のように上下線が流動的に入り乱れる1番線と2番線のホーム。遅延の際には各停が快特に切り替わるような強引なダイヤ修正。

一見ユーザーに媚び諂わないぶっきら棒なその姿勢だが、実のそれは何としてでもユーザーの輸送を守るための裏返しである。現に京急には細かい遅延はあれども運転見合わせは滅多にない。愛情表現の苦手な京急は行動で示す。なんて不器用な江戸っ子のようなのだろうか。

03.jpgまた駅名の粋なセンスでも関西の阪急と並び、関東私鉄では京急が突出している。例えば東急田園都市線では「宮崎台」「あざみ野」「藤が丘」「青葉台」「つくし野」「すずかけ台」「つきみ野」のように、とりあえず「ひらがな」+「台」「野」「丘」を添えることで東京近郊での風景の良さをインスタントに訴求したり、東急東横線では「学芸大学」「都立大学」とアカデミックな駅名を路線ブランディングの一環で押し付けようとする。しかしそれで「碑文谷」や「柿の木坂」という、昔からその土地に似合う表現がなされた地名を犠牲にしてしまうわけだ。一方の京急は「鮫州」「立会川」「梅屋敷」「雑色」「六郷土手」「八丁畷」「生麦」「屏風浦」など、別段、快特が止まるわけでもない小さな一駅一駅にまで地名由来からのユニークな名前がつけられている。駅名の歴史は知らずともついつい降りたくなるほどの個性だ。まるで、「俺の方がよっぽど東海道線よりも東海道らしいのさ」と、JRに真っ向勝負を挑むかのようである。東京と横浜という二大オシャレスポットをつなぐベイエリア路線でありながら、京急はオシャレだとは思われようとしないし背伸びもしない。男は自分なりの裏地で気取るものさ。それを駅名が物語る。


02.jpg先日横浜に行く用があり、新宿からJRへと乗り込む。湘南新宿ラインは横浜までの停車駅が少なく、快適に100km/h以上のスピードで走り抜ける。新設された武蔵小杉を過ぎ、また加速を始めたところ、おそらく子安あたりで住宅の茂みの隙間から突如として猛スピードの赤い影が現れた。京急の快特である。あの入り組んだ茂みの中でありながら、なんとこの湘南新宿ラインと併走するスピードではないか。JRが織田徳川連合の鉄砲隊だとすれば、各停から快特まで自分の持ち場を猛スピードで行軍する京急は「人は城、人は石垣、人は堀」、まるで赤い甲冑を着た武田騎馬隊。いや、JRが黒船だとすれば、京急はラストサムライといってもいい。

「タスキをつなぐ浅草線に京成線。お前らももう少し頑張れよ。この下町のタスキで成田と羽田の日本の空がつながれているんだぜ」。不器用だと言われてもいい。今日も赤甲冑の騎馬群はまるで紅の豚のように飛び立っていくのであった。


※写真提供:@_grumit 情報協力:@_spitf

Vol.12: 谷中

2010年03月22日 22:21

欧米人の東京の観光ブックを見ても世田谷など載っていない。
外国はあくまで日本が見たいのだ。


谷中

iPhoneなどのスマートフォンをご使用の方はご存知かもしれないが、GPSから自分の位置情報を地図上に足跡を残せる「foursquare」という英語のアプリがある。例えば今自分が上野駅にいるとき、iPhoneからfoursquareアプリを起動すれば「上野駅」が表示され、そこにCheck-inすれば「上野駅」に自分の足跡が残せる、という仕組みだ。そして、例えば上野駅に誰よりも多くCheck-inしている人は、上野駅のMayor(地点の長)の称号が与えられる。また、多くの人がfoursquareを利用してCheck-inすることにより、世界でどの界隈が今熱いのかが分かるようになるのだ。

Image696.jpgかくいう小生もfoursquareユーザーのひとりであり、下町散策の際にはマメにCheck-inしているため、すでに何ヶ所かのMayor(地点の長)となっている。「根津駅」、「三浦坂」、「千駄木駅」、「岡倉天心宅跡」、「富士見坂」、「諏訪神社」、「道灌山公園」。そう、ぐるりと谷中を囲む地点を押さえているのだ。支配欲には無縁の風来坊の小生が、ここまで縄張り意識を掻き立てられるほど魅力的なマチ、それが谷中である。

谷中は台東区内にありながら山手線の内側にある地域であり、下町でありながら海抜でいえばかなりの高台に位置している。山手線で西日暮里から鶯谷に向けて走っている際に右手が崖のようになっていることはお気づきだろうが、その崖の上に存在しているのが谷中界隈と説明した方が端的だろう。江戸初期に今の上野桜木の地域に寛永寺が創立されたことで神田から多くの寺院が移転し、江戸の行楽地として栄えた歴史を持ち、今も谷中墓地には徳川家が墓に眠っている。まもなく桜満開の時期、上野公園の桜よりも谷中霊園の桜をおすすめしておきたい。

谷中台東、墨田、江東をはじめ、東京の下町は戦時中の大空襲によって江戸からの貴重な遺産も焼け野原と化してしまったが、谷中は大規模な空襲を免れることで貴重な歴史遺産を遺すことができ、今も観光客が絶えない。下町ファンの声としては、台東の谷中は下町でありながら隣の文京区の根津や千駄木と協力し合うことで、「脱・下町」のブランディングを強化している、などと揶揄されるが、逆にそれは戦火を免れた下町の遺産を世に伝えるための術である。

また、谷中は古いだけでなく東京芸大と近い場所柄であることからアートとの融合が強い。銭湯をリノベーションしたアートギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE」、長屋を改造したカフェ、そして上野の美術館と谷中のアトリエを開放した「アートリンク上野-谷中」が近頃では毎年秋の恒例となっている。歴史の浅い世田谷界隈のインスタントな「ほっこり」を求める女性客で入り乱れる今風のカフェにはどうにも入りにくいという男性には、谷中ボッサ、カヤバコーヒー、Cafe NOMAD、ミルクホールをおすすめしたい。プレーンなテイストの多い所謂「ほっこりカフェ」と違い、谷中のカフェは喫茶店と形容した方が早い。内装も白の壁と木のダークブラウンのコントラストが強く重厚な印象であり、その白の壁もどこかタバコの煙ですすけた色を醸し出している。袴姿の男性が物書きをしていても違和感のないこの空気は、隠れ家を追い求める男性には最高の書斎となってくれることだろう。

谷中そんな喫茶の楽しめる谷中は日暮しの里。飲み屋は少なく、日のあるうちに楽しむのが吉である。山手線からは崖のように一気に高台になっているが、そこから先は不忍通りの谷に向けてのなだらかな下り坂で街が形成されている。そのため日の入りの夕方には太陽が斜面均等に古い家々の瓦を照らす光景は圧巻である。谷中散策の最後に、富士見坂や夕焼けだんだんから日の入りを楽しんでいただきたい。

そんな谷中には外国人バックパッカー向けの安宿があるためか、谷中を歩いているとしょっちゅう外国人旅行客を見かける。散策がてらに欧米人に道を聞かれても、英語での説明が難しいほどに谷中は道が入り組んでいるため、目的地まで連れて行ったこともあった。実際にfoursquareで谷中界隈のスポットにCheck-inした人のリストを見ても外国人が想定外に多い。

谷中日本人がかつての農村を開拓して、インスタントにヨーロピアナイズされた暮らしのスタイルを世田谷に築こうとも、欧米人の東京の観光ブックを見ても世田谷など載っていない。外国人にとってはあくまで日本が見たいのだ。欧米文化に飲み込まれるのではなく、欧米文化を飲み込んだ日本文化の残る街・谷中。アメリカが燃やし尽くせなかったこのマチに、小生は今後もアメリカ生まれのfoursquareを利用してCheck-inし、世界に発信しつづけようと思うのであった。


最新の下町徘徊録